台湾人と日本人の両親を持つ作家の田中実加さん(右)は12年をかけ、戦前に台湾で生まれた日本人「湾生」の人々のルーツをたどるドキュメンタリーフィルムを制作。(中央社)
「日本には間に合わず、台湾には忘れられた記録」――日本が第二次世界大戦で敗戦した際、台湾から40万人近くの人々が日本に引き揚げた。その半数は台湾生まれの「湾生」であった。台湾人と日本人の両親を持つ作家の田中実加さんは12年をかけ、「湾生」の人々のルーツをたどるドキュメンタリーフィルムを制作した。
田中さんによると、花蓮県吉安郷はかつて「吉野村」と呼ばれ、1910年に日本の人々が大量に移民してきたころ整備された台湾初の移民村である。物語は4年前、「湾生」の人々が花蓮でルーツを探すのを、田中さんが手助けする内容となっている。
田中さんは過去10数年をかけ、142人の「湾生」の人々のため、当時の戸籍謄本を探した。国立台湾大学医学部付属病院で出生証明を手にしたとき、声を上げて泣いた「湾生」もいた。田中さんによると、「湾生」の感動は、人として生まれたことの証明をようやく探し当てたというところにある。田中さんは、この感動がさらに前に進むための原動力となったと語った。
Taiwan Today